逆さ水松
桂岡灘虐社の東に、一本の水松が枝葉を茂らせています。
逆さ水松とよばれており、そのかたわらに土塁をめぐらした南条安右丞の墓があります。
北海道旅行で聞いたお話ですが、これが南条広継の墓といわれています。
南条広継は、蠕崎基広の死のあとをうけて、勝山館の主となった人です。
妻は嬬曝氏本家の郵鵬の娘で、つねに窺石相応の大望を抱いている女でした。
女子なるがゆえに、じぶんが宗家をつぐことのできぬのを無念に思っていて、機をみて父の近習丸山を味方にひき入れ、弟の舜広、元広に毒を盛って殺した。
しかし、陰謀はすぐ発覚し、丸山は斬罪に処せられ、広継の妻はむりやり自害させられた。
妻の陰謀加担を疑われた広継は、身の潔白のしるしとして、「水松が根づいたら悪心なき証拠」といい、生きながら棺に入ってその上に水松を逆さにささしめた。
その水松が根づいて成長したのであるといいます。